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お知らせ

2016.02.10

『真の地域力とは何か』地元紙掲載文 御一読下さい。

 

富岡製糸・群馬を超えていた南信州の養蚕業

養蚕業と風土特性との関連性

明治以降、我が国の近代化の課程において、経済発展の全容に蚕糸業(1)
ほど
広く深い構造的役割を担った産業はありません。それは単に工業部門
のみでなく、明治から大正・昭和に至る農業の発達史の中でも、稲作と共に
構造的支柱ともいうべき最重要な産業の双璧
として君臨してきました。(2)

 昨年冨岡製糸工場が世界遺産に登録され、蚕糸業が再認識されていますが、
実態は長野県の収繭量は明治後期には、全国の16%と全国一の座を占め、
群馬県を凌いでいました。その中でも上・下伊那郡を含む南信州は、全県の
25%の収繭量を
占める有数の生産地帯でした。桑の生育用地用に水田が
桑畑に種目変更された形跡や、養蚕業盛業期に建てられた養蚕民家が点在
する農村原風景は、南信州独特のものです。

 

DSCN1406
今も残る養蚕業盛業時の繭蔵(飯田市座光寺地区)

 

ではなぜこのような山岳地帯である南信州が、全国一の養蚕盛業地になり得
たのでしょうか。主要因は ①蚕の飼育環境と気候特性 ②桑の生育特性と
地質特性③豊富な森林資源
にあったといえます。

蚕の幼虫は3齢までは抵抗力が弱く、特に梅雨期は軟・硬化病が発生しがち
でした。南信州の気候特性は乾燥・晴天日が年間を通して多く、夏季に南風
が吹く気候条件は、蚕の飼育環境に対し好条件でした。また桑の根は地中内に
1.5mから2mも伸びる特性があり、急斜面でも地下水を吸収して成長し
干ばつにも強い植物でした。桑は洪水にも日照りにも強い植物であり、
地下水条件の悪い台地・扇状地・山岳地も桑園地帯とし大いに活用され
ました。云わば南信州の地形全体が、桑栽培に適していたのです。(3)

一方標高に順じて多様な針・広葉樹が生育していた山林は、明治中期以降
「養蚕民家」「養蚕長屋」が多数建築される中、多種多様な建築素材の
供給源
として大いに育成・管理されました。また蚕の飼育環境においても、
春・秋蚕の適温維持のため、椚・小楢材等の広葉樹が炭火として活用され、
炭火原木供給という視点でも、南信州の山林は最適地でした。(4)
このように養蚕業の盛業は生産農家のみならず、各建築業種・製炭・
山林保全等、多業種に賑わいをもたらしたのです。

 

1310小(南信州用写真)
ノコギリ屋根が特徴の天竜社工場。数年前に解体撤去された。(蚕と絹の歴史:飯田市立図書館所蔵)

 

地域資源保全型経済の再考

最近「循環型経済」「地産地消」という言語が地域活性化の源のようにいわれ
ます。しかし南信州は昭和の年代・ごく最近までこのような「循環型経済」
そのものである「養蚕業」により、世界を土壌に大いに繁栄したのです。

「世界中を見渡しても伊那谷は循環型経済の成熟している地域」・・・これは
取材記者として世界を飛び回った本田勝一氏の所感ですが、脈々と継承された
南信州独自の地域産業・文化の再認識の必要性を強く感じるのです。

私たちのくらしは1万年に及ぶ自然との関わり合いの中で培われてきました。
20世紀は「循環型社会」を破壊しつくした時代とも言われています。
天竜河岸氾濫原に広がる稲作地帯、段丘から扇状地に拡がる多様な果物
生産地、里山から低山帯に植生する針・広葉樹林等、もう一度豊かに
恵まれた南信州地場産業の可能性の追求から始め、地域文化の賜物
として圏外に発信
出来ればと思います。

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繭量の増加指数(近代養蚕業の発展と組合製糸、平野綏、東京大学出版会P65.1990.2

一方身近な産業文化財であった「製糸工場」「繭蔵」等、経済成長の中,
大半が解体・撤去されてしまいました。木造トラス構造・ノコギリ屋根の
製糸工場、5階建て木造の繭蔵等、繁栄を誇った「養蚕業」の大切な継承
遺産でした。

先人の残したこの様な産業文化財から学ぶべき事柄は多く「地域資源
保全型経済」
のもたらす豊かさを実感するのです。なぜかGDPの成長率
ばかりが重視される中、都心部から地方への移住者が増えているのも
事実です。

地球規模での環境意識を踏まえながら、南信州の恵まれた地域資源を
再認識し地域文化として発信出来ればと思います。真の地域力とは何か・・・
人々の暮らしが質素ながらも、安定して心豊かに暮らせる南信州が創出
されることを願っています。

 

(注)(1)新津新生;「信州自治研第202号-蚕糸王国長野県はこうしてつくられた」長野県地方自治
研究センターP1,2008.12「蚕糸業とは蚕種を製造し桑を与え成長させ、繭を作るまでの農業部位と、繭を
煮て機械を使い糸をとる工業部位の両産業を示すが、本文論で論じる養蚕業は農業部位を示すものと
する」と記述されている。
(2)平野綏「近代養蚕業の発展と組合製糸」東京大学出版界P1,1990.2

(3)「蚕糸王国はこうしてつくられた・信州自治研・第202号」P11、2008、12
(4)「下伊那の林業」昭和25年6月発刊昭和20~23年、木炭生産量は急増し和合・
売木1.421.767大鹿911.712千代602.411貫とある。P62、28表

 

     (地域紙に掲載後、いろんな方からコメントを頂きました。御意見等
       御座いましたら、御気軽にメール等お願いします。)

 

 

 

 

 

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