所長ってどんな人

DSC_0010のコピー

初めまして、所長の木下です。
無粋の田舎者ですが、よろしかったら
私の現在迄の足跡を御覧下さい。

140年間住み継がれた自宅のんびり「読書」

 

生まれは

昭和20年代の後半、長野県の山並み深い南信州伊那谷の高森町に生誕・・・
農家の長男坊であり、(女系の為、実は末っ子)  家畜やら農業生産物に囲まれ、
豊かな自然環境の中でおおらかに自然体に育ちました。

園児の頃

当時の保育園は、お寺の本堂とドッキングしたものであり、朝は寺の急な石段を登りつめ通園。
大きな樹木の下を遊び廻り、厚板の境内の広縁で、大きな木製の「馬の遊具」に乗ったりして、
広い境内を自由に駆け巡っていました

 

三六災害

小学校低学年の時、南信州伊那谷を百年に一度と言われる、集中豪雨が襲いました
学校帰りに、カジカを獲っていた清流の河川が、あっという間に濃茶の濁流河川に変貌したのです
夜中に河川を流れるゴロゴロという巨石の音が、今も耳に残っています。

災害以降「土木力」によって、生態系を抑えよう」という思考が主流になり、
河川水路は三面張のコンクリート製となり、淡水魚、植生物は消滅してしまったのです

この辺りが、我が家の水田でしたが、全部流されてしまいました(涙).
親父と一緒に流石・雑草を取り出す作業に数年間頑張ったものです。

高校の頃

高校は地元の普通高校に進みました。クラブは『落研』に属し、着物とセンススタイルで高座に
上がっていました。 「もと犬」 「あたま山」 なんかが出し物で、校内のみならず老人施設、
女子高等にも出張出演。

今でも人前で話す時、何んとなく語り口調になってしまうのは
この頃の「落研調」の名残でしょうか?

卒業生の地元への定着率は低いけど、熟年となった現在、同郷の皆さんとは
親しくお付き合いさせていただいています。

東京へ

進学の為上京。幼き頃より機械物が好きで、工学系の車の設計エンジニア、デザイナーに
なろうと心に決めていましたが、何故か美術系大学に進む事に180度転換。・・・

子供の頃より絵画は得意で、多感期の気持ちの変換か、デッサンの受験準備を特別した訳でもなく、
なんとなく進んでしまい、人生最初の分岐点だったのかも?

下宿時代

学生時代はもっぱらアルバイトに専念、多種多様な体験を重ね力強く(?)なっていきました。
都内を移動しながら、東小金井が大層気に入り、当時6帖位の戸建てプレハブ街に定住・・・・
仲間達とわいわいガヤガヤと楽しい毎日。

適度に樹木も残り、アパート群に囲まれた異次元のプレハブ戸建長屋集落で、なかなかのものでした。
つい最近まで、都内に行くとその家が空き家になっていて泊まれる夢をよく見た程です。

 

当時(1)

 

当時のプレハブ長屋のイメージ図です。
道から三軒目が住まいでした。こんな大胆な発想をした地主さんに脱帽!!

帰郷

東京での設計事務所勤めを終え、家庭の事情により帰郷・・・
若干30才の頃、当時の思考回路は「東京・イズ・ベスト」であり、
機会あれば再び東京へと常に熱望し、田舎コンプレックスの
塊でもありました。

現在まで

30代前半・・地元設計事務所、ユニット工法メーカー勤務を経て独立しました。
農村原風景の果樹園地帯の中、自宅の牛小屋をリフォームし、12帖位の小さなアトリエで開始。
かみさんと一男一女の父親でもあり、創生時は2×4メーカーのコンサルタントを受託しながら、
がむしゃらに夜中の1時2時迄毎夜働いたものです。

その後アクセス的に容易な飯田市上郷に事業所を移し、現在に至ります。
当時はまだ、東面に国道153号線を、西面には1時間に1本の飯田線を窓越しに見ながらの、
牧歌的な伊那谷らしい周辺環境でしたが、2~3年で水田は減少し、
アパートやら舗装化へと変貌し、混迷した地域となってしまいました。

貴重となった目前の水田の四季の風景を2階から楽しみながら、
創作活動
にいそしんでいます。

好きなもの

古い物なら、何でも好き!!ハイテックよりローテックな物が好き
とにかく古い機械ものが好き!!
例えば昭和初期の発動機なんぞ大好きです!

パソコンは常識の半分程度の知識力。CADは何とかセーフ!
ただ修正が主かな。展開図がいちばん好き。

機械式腕時計集め 国産品が好き!
「キング・セイコー・ファースト」 等、着けもしない物がゴロゴロ。

車は旧車が大好き・・・ソレックスキャブ仕様のカリーナ1600GT、2代目ソアラに各々18万km
迄御愛用。

近所の若い女の子が経営する車やさんに並ぶ軽の旧車を横目で
見ながら・・・・乗ってみたい、オジサンの方が詳しいのだと・・・、勝手に自負。

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珍しいマツダシャンテとフロンテSSです。

青のシャンテは、、小型ロータリー搭載用に開発されましたが、結局中止となり、
2サイクルエンジンにてデビューしました。
赤のフロンテは3連キャブ仕様の珍しい初期型SSです。
木目に3連メーターがインパネガラス越しに見えます。

 

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今でも基本設計は手書きのスケッチです。

CADは何とかセーフ!書き込みのレイアウト、細部をいじるのが主要な仕事かな?
なにやらBIMなるものが、主流になっていくらしい?

リース料の心配が私の仕事です。

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機械式時計がゴロゴロ。短期間に多様な機種を出した国産品が好き!
「キングセイコー・ファースト」がお気に入り。
グランドセイコーとなんら遜色ありません。
チッチッチとロービートで正確に時を刻んでいます。・・・・・・うっとり・・・・・・

時計屋さんをコツコツと廻りながら古くなった不用品を譲って頂きました。

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緑に覆われた事務所も、ついに移転の運命に!

北側20m位の所に、リニア駅ができるんです

趣味として環境関連の本を読みあさる事・・・50歳を過ぎ、ややあせりが・・・・・
都内の書店でまとめ買い。本棚に並んでいると安堵するのだ。

運動不足解消の為に始めた空手・・・・・20~30代の元気な若者に紛れ込み、いたわれつつ
ハッスルしています。

まじめで、純粋な若き武道家達、人望の厚い武道の先生に教えられること多々あるのです。

住まいづくりに対する想い


築140年来の古民家
が私の住まいです。私で家主が四代目になります。
祖父の父の時代に、
何やら2年位の手間暇をかけて建築したようです。

実験的な試みもあり、20年程前に再生しました。

木下邸

養蚕民家初期型(切妻屋根が特徴)が我が家です。
これは珍しい・・・トントン葺(さわら板葺)を瓦に葺き替える写真が
出てきました。

再生時の風景です。南面の松は松くい虫により消滅・・・

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カミさんの「あそこがどうの、ここがどうの」というありがたい御言葉を
素直?に聞きながら、
モニター民家として活用しいます。
実体験上、「再生民家にはやたら詳しいのだ!」

牧歌的でおおらかな南信州に育ったせいか、「経済発展」とか「GDP」とかいう数字には、
あまり興味が湧きません

質素で心豊かな生活を理想とし、先祖の残した古民家に3世代で暮らしています。

住まいとは、一作一作が住まわれる方の個性の表現であり、街並を構成する大切な
環境要素であると考えます。
地域の素材・構法・職方による「地域にねざした物づくり」を目指しています。

小住宅から古民家再生・数奇屋建築・庭園デザイン等、多様なジャンルに取り組んでいます。
流行にとらわれず、暮らしやすく、維持費のかからない、
そこに少し面白みを加えた生活空間を提案しています。

代表者の発想のみに限定されず、多面的に創造したいという思いから
アトリエの名前を決定しました。

アトリエ内のディスカッションから最適な生活空間が生まれればと思っています。

 

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140年来何ら変わらない和室で、庭を見ながらのんびり読書。
(自邸の再生民家にて)

 

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農にいそしみ、自給自足を目指して休日には精力的に農耕作業。

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014

50代の後半、廻りの社会人学生の皆さんの刺激を受け再び学生生活を始めました。
当初、修士課程に進学希望でしたが、先生の指導により、急きょ博士課程に
進路変更
しました。

しかし博士課程の実体は、博士論文(A4、240P位)を執筆し受理されなければ
満期中退になってしまうのです。
また執筆に入る前提として、査読付き学会論文を2本執筆しなければなりません。

幸い私の場合、今迄の実務実績を区分整理し「南信州民家の大改修」としてを
主題まとめ上げる事で題目が決まりました。

結果、大変な苦難の連続でしたが、計画系論文2本と博士論文を在籍許容期間6年間に
ギリギリセーフまとめ上げ、めでたく受理される事になりました。
事務所のスタッフの皆さん、大変御迷惑をお掛けいたしました。
その間、当然御仕事は半減・・・うーん、反撃が難しい・・・

南信州でも大学研究機関と連携し、研究者の博士号取得に積極的な企業がありますが、
これは企業理念上、大変傑出した事だと思います。

30代から40代にさしかかり、得意分野での実績を蓄積した方々こそ
士課程進学に適しています。
50代からでは本当に苦難の連続です。興味あるかたメールでも頂ければ、体験談等
お話させて頂きます。

 

 

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